北野武映画「アキレスと亀」印象派から現代アートまで美術教材に最適

教育

美術教員の視聴覚教育で困っている先生に参考にして頂きたく、今回、北野武映画監督の作品「アキレスと亀」について記述しました。

映像の中で表現されている芸術家、あるいは芸術の手法について説明させて頂きました。

美術教育での視聴覚教育で、この映画を生徒に鑑賞させる前後に、この映画で扱われていると思われる芸術家(アンリ・マティス、ピカソ、山下清、モディリアーニ、草間彌生、ジャクソン・ポロック、アンディーウオホール、ロイ・リキテンスタイン、白髪一雄、キース・へリング、バスキア、バンクシー、ジェフ・クーンズ、篠原有司男、熊谷守一、マルセル・ディシャン)の説明や、芸術運動(キュビズム、アクションペインティング、ダダイズム、ポップアート、ストリートアート、現代アート)について解説することで、この映画の深い思惑が理解でき、生徒がより芸術に関心を持ってくれると思います。

芸術家とその芸術手法などの要点には「ここポイント!!」と表示させて頂きました。

 

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  1. 映画の内容ついて
    1. マティスとピカソについて
      1. ピカソはマティスに嫉妬していた?
  2. 映画の解説について
    1. 少年時代
      1. ここポイント!! 放浪画家 山下清について説明しましょう。
      2. ここポイント!! モディリアーニ「モンパルナスの灯り」画商の在り方、ゴッホを助けていた弟テオ(画商)の存在について説明しましょう。
      3. ここポイント!! 放浪画家 山下清が死んでしまいます。現代で山下清の生き方が可能か、生徒に投げかけてみましょう。
    2. 青年時代
      1. ここポイント!! ピカソのキュビズムの絵と初期の代表作「科学と慈愛」を見せておくと思考が深まります。
      2. ここポイント!!画家を諦め、教師を選んだ知り合いの経験談を聞かせると生徒は納得すると思われます。
      3. ここポイント!!現代アートの旗手、草間彌生について説明しておくと生徒の理解が深まります。
      4. ここポイント!! アクションペインティングやダダイズムについて説明しておくと生徒は理解しやすいです。
      5. ここポイント!! アンディーウオホールのシルクスクリーンの作品を説明し、現在の評価核を生徒に知らせると勉強になる。
    3. 中年時代
      1. ここポイント!! キース・へリングやバスキアについて説明をすると生徒の理解が深まります。同じストリートアーティストである、バンクシーについても説明するとさらに思考が深まります。
      2. ここポイント!! 現代アートのコンセプトについての説明が生徒への理解を深める。ジェフ・クーンズ「バルーン」のコンセプトを説明する。
      3. ここポイント!! ボクシンググローブを使用してアートする日本人アーチスト篠原有司男の説明があると生徒は理解しやすいです。
      4. ここポイント!! 熊谷守一が子供の亡骸を描いている時の心境を生徒に問いかけるとこのシーンの理解が深まります。
      5. ここポイント!! マルセル・デュシャンの便器をモチーフにした作品「泉」を解説すると生徒は理解しやすいです。
  3. まとめ

映画の内容ついて

人間であるアキレスが100メートル後方から亀と競争する場合、誰もがアキレスが亀を追い越すであろうと結論付けるのですが、亀は同時にわずかではあるが前進するわけで、アキレスは永遠に亀には追い付けないという、古代ギリシャの哲学者ゼノンの逆説(パラドックス)を映画の題名としているところがとても興味深いです。

主人公である真知寿(マチス)が悪徳画商に騙され、芸術にほんろうされる様をコミカルに描いた作品です。

主人公の名前であるマチスは、フォーヴィズムの画家Henri Matisseであり、真を知って寿ぐ(祝う)という当て字も、この映画のテーマでもあることが、映画を見ていくと次第に理解できます。

主人公、真知寿の少年時代、青年時代、中年時代の3つの時代編成で物語が製作されています。

 

マティスとピカソについて

マティスとピカソの関係について生徒に説明しておくとより、主人公に真知寿と名付けた理由が理解できます。

 

ピカソはマティスに嫉妬していた?

この内容については私の他の記事の中で「マティスとピカソについて」、で説明しています。

 

映画の解説について

主人公、真知寿の少年時代、青年時代、中年時代の3つの時代に分けて解説していきます。

 

少年時代

主人公、真知寿(マチス)は、養蚕で財をなした資産家の倉持利助の子息として生まれます。

悪徳画商の菊田が、利助を騙して菊田が育てた才能の無い画家の絵を、高額で利助に売りつけていました。

ある日、真知寿の絵をその画家が褒めちぎり、自分のベレーボーを真知寿にプレゼントします。

その日から真知寿は、絵を描き続け出口の見えない画家の世界へ没入していくことになります。

資産家の息子である真知寿は、小学校時代、授業中に絵を描いても、線路上で電車を描くために電車を止めても、資産家の息子で街の有力者の息子である彼を誰も怒ることが出来ませんでした。

 

ここポイント!! 放浪画家 山下清について説明しましょう。

そんな孤独な製作の中で天才放浪画家、山下清をモチーフとした青年又造と出逢います。

しばらくして、父親利助の養蚕の蚕が全滅し、会社が破綻して父親は芸者と首吊り自殺をして亡くなります。

利助の死後、悪徳画商の菊田がヤクザと共に豪邸に現れ、金目の物を奪って行きます。

ヤクザも手にしなかった真知寿の絵をとり菊田は「こうゆうのを騙して売るのが画商だからよぉ」と呟きます。

 

ここポイント!! モディリアーニ「モンパルナスの灯り」画商の在り方、ゴッホを助けていた弟テオ(画商)の存在について説明しましょう。

このシーンは、画家モディリアーニの自叙伝的映画「モンパルナスの灯」を表現しています。

モディリアーニの才能を認めつつ、生前は彼の作品を購入せず、モディリーアーニの死を見とどけるとその足で、妻のジャンヌに彼の死を知らせずアトリエの作品を買いあさっていく悪徳画商モレルの姿が映画に出てきます。

その後、妻のジャンヌはモディリアーニの死を知り、後を追います。

生前、評価が低かった作家の作品が、死後高額で取引されることがよくあります。

作家の生き様、死に様がミステリアスで物語性があればあるほど、作品の力量とは無関係に作品が独り歩きします。

そんな事を北野武監督は冷めた目でコミカルに描いて見せました。

菊田は真知寿の描いたヒラメの絵を持ち帰り、画廊の客に「訳があって12歳で死んだ作家が描いた絵なんですよぉ、必ず値が上がります」と言って持ち帰った真知寿のヒラメの絵を売ります。

困惑している客に笑顔で、「この手の物は秘密が多いほどいいんですよ」と、うそぶきます。

全てを失った義母の春は街を後にし、利助の弟夫婦に真知寿を預け、崖から身を投げ、自殺をして亡くなります。

喪に服された春の顔かけをめくると、顔の左半分が真っ赤な血で染まっていました。

春の血で染まった顔を壁に描いた真知寿を弟夫婦はいぶかり、孤児院へ入れてしまいます。

真知寿は、孤児院へ送られるバスの中で衝突事故に巻き込まれます。

 

ここポイント!! 放浪画家 山下清が死んでしまいます。現代で山下清の生き方が可能か、生徒に投げかけてみましょう。

皮肉にも衝突した相手は又造で、彼は頭から血を流して倒れていました。

現代では、人からおにぎりをもらって絵を描けるほど優しい時代ではないという、北野監督の冷めた視線を感じます。

 

青年時代

青年になった真知寿は新聞屋で住み込みをしながら絵を描き続けます。

真知寿は悪徳画商、菊田の画廊を受け継いだ息子のもとに作品を売りにいきます。

何の変哲もない真知寿の風景画を見た菊田の息子が真知寿にこう言います。

「失礼ですが、こうゆう風景画はどこにでもあるでしょ、今こうゆう絵は流行らないんですよ。

もうちょっとこうインパクトのある絵じゃないと今は売れないんです。

技術があれば誰でもこんな絵は描けますよ、もうちょっと変わった絵じゃないと。

絵の勉強はしてるんでしょ?よほどの天才じゃなきゃ学校へ行かなきゃ駄目ですよ。

学校で色々教えてもらった方がいいですよ。

写実的な絵から印象派、キュービズム、ホォビズム、コンテンポラリーって絵はずっと変化してきたわけだから、それをちゃんと勉強して下さいよ。

これは一歩間違えれば銭湯にかかっている絵じゃないですか。

街のペンキ屋さんだってこれくらいの絵は描けますよ。

もうちょっと近代絵画を勉強しないと。

まぁこれは一応預かっておくから、もしかしたら飾ってくれる店があるかもしれないし」。

そう言われて画廊を去る時、真知寿は、少年時代自分が描いたヒラメの絵が画廊に飾ってあるのを見つけます。

菊田に駄目だしされたこの風景画が、後のキーワードへと繋がっていきます。

真知寿は菊田の息子の言われた通り、新聞屋を止めて昼間印刷工場で働きながら美術学校に通い始めます。

その印刷工場で、後に妻となる幸子と出逢います。

印刷工場の仕事で、閉店チラシのデザインを頼まれますが、真知寿は首を吊っている店員を描き社長から怒られます。

 

ここポイント!! ピカソのキュビズムの絵と初期の代表作「科学と慈愛」を見せておくと思考が深まります。

喫茶店で働いている女性に頼まれて裸婦を描くのですが、ピカソキュビズムを模した画風だったので、モデルの女性はその絵を見ていぶかしげに「私がモデルじゃなくてもいいんじゃないですか」とつぶやきます。

ピカソが、もっと上手に描いて欲しいとモデルに叱責されたエピソードがありました。

美術学校へ入学した真知寿は、デッサンの勉強をしていると、同級生がこんな会話をしている場面が出てきます。

「金ばっかりとって何にも教えてくれないなぁ」。

「あいつよ、昔はフランス帰りでちょっとは売れたらしいけどよ、才能ないのばれちゃって今はこの学校で先生だよ」。

批判されている先生をじっと見てほくそ笑む真知寿の顔が異様な雰囲気を醸し出します。

 

ここポイント!!画家を諦め、教師を選んだ知り合いの経験談を聞かせると生徒は納得すると思われます。

確かに絵で食べていける作家はほんの一握りで、大半は学校の教師か、講師の掛け持ちをしている人達が多いのが現実です。

そんな美術学校の仲間達と、真知寿は危険な製作活動を行いながら互いに友情を深めていきます。

 

ここポイント!!現代アートの旗手、草間彌生について説明しておくと生徒の理解が深まります。

男女ともに作品の前で写真を撮る風景は草間彌生がニューヨーク時代に、男女に水玉を描いたパホーマンス、クサマ・ハプニングを連想させます。

社会からバッシングを浴びた草間彌生は次のようなコメントを残しています。

「飢えや犯罪が戦争につながるように、全ての抑圧も、人間の本来の姿を押し曲げ、人間を戦争に駆り立てる遠因になっている」。

当時のアメリカが抱える、男女の性差の否定や、金儲け第一の資本主義や、ベトナム戦争を廃絶させたいという強い思いが込められていました。

 

ここポイント!! アクションペインティングやダダイズムについて説明しておくと生徒は理解しやすいです。

絵の具を入れたゴム風船をバットで打ち返したり、自転車の上に絵の具を入れたバケツを載せ、大きなキャンパスにぶつかったり、自転車が壊れると、車の上に絵の具を載せてぶつかっていきます。

車を運転していた友達は頭から血を流し、死んでしまいます。

これらの行為はジャクソン・ポロックがキャンパスに絵の具を飛び散らせたり、垂らしたりする技法であるアクションペインティングを引用したものだと思われます。

実際にジャクソン・ポロックは交通事故で亡くなっています。

アクションペインティングとは、キャンパスは製作の為の素材ではなく、素材と戦う競技場ととらえ、大胆な動きで作品を仕上げていくという、ダダイズムのパホーマンスや、実在主義の影響を受け、アメリカでうまれた美術様式です。

日本人ではフットペインティングの技法を生み出した白髪一雄が有名です。

床に敷いたキャンパスに絵の具を乗せ、天井から吊ったロープにぶらさがりながら滑走するように足で描く様式でした。

白髪一雄

アメリカへ行きたいという友達、麻薬を進めてくる友達、色々な友達と接しながら真知寿は芸術について考え模索していきます。

友達と立ち寄った屋台のおでん屋の大将が「アフリカで飢餓で苦しんでいる人達の前にピカソの絵とおにぎりを差し出したら、どっちを取る?おにぎりだろ、芸術なんてしょせんまやかしだよ」と言葉を投げかけられます。

帰り道、麻薬をすすめた友達が歩道橋から飛び降ります。

程なく印刷工場で事務仕事をしていた幸子と結婚し、子供も生まれます。

 

ここポイント!! アンディーウオホールのシルクスクリーンの作品を説明し、現在の評価核を生徒に知らせると勉強になる。

ポップアートで有名なアンディーウオホールの作品であるマリリンモンローを美空ひばりで描き、毛沢東を横山ノック、キャンべルのトマトスープ缶を大和のくじら煮の缶、ロイ・リキテンスタインの作風を真似てサイボーグ009の001を模した作品を描いていました。

悪徳画商菊田の息子が経営する菊田画廊に作品を持ち込みます。

菊田の息子は「勉強をしろとは言ったけど、真似をしろとはいっていないよ、真似してなおかつ下手くそじゃない」と冷たくあしらいます。

もちこんだ作品の中で唯一、オリジナルな作品の”アラクマさん”という街で見かけたおじさんの作品を見て「真似よりはいいんじゃないの」とあきれ顔で言われます。

数日後、真知寿は、”アラクマさんシリーズ”と題してアラクマさんの親族一同を描いて菊田の画廊に持っていきますが、あきれた菊田は「何がなんだか分からないじゃない、ちょっと褒めるとこうゆうことになるんだから」とあきれます。

「なんだか当たり前だね、もっと冒険できないかなぁ、筆で描くなんて事いっかい止めてみたら、考え方変えなきゃ」と言われます。

 

中年時代

中年になった真知寿は、妻の幸子をアシスタントとして共に製作活動を行っています。

娘は高校生になっていました。

道路に長くて白い紙を敷いて、その上を幸子が絵の具の入ったタンクを取り付けた自転車で、白い紙の上を絵の具を垂らしながら走っていきます。

赤、黄、青、ピンクの様々な色の線が出来上がっていきます。

なぜだか幸子はウサギの着ぐるみを着ているのですが、これもパフォーマンスとしてとらえるのか、北野監督のユーモアーなのか、迷うところです。

この作品を菊田画廊に持って菊田に見せるのですが、「何これ、絵の具をぶつけたり剝がしたりしているだけじゃない、こんなこと皆やってるよ、もっと違う事やらなきゃ、あんたこの人知ってるでしょ」と、菊田が新聞を差し出します。

 

ここポイント!! キース・へリングやバスキアについて説明をすると生徒の理解が深まります。同じストリートアーティストである、バンクシーについても説明するとさらに思考が深まります。

その新聞の記事には、青年時代に同じ美術教室で学んだモヒカン刈りの友達が”ニューヨークで大絶賛、バスキアの再来/日本人画家、トッド佐藤氏”という内容の記事で書かれていました。

彼は菊田が否定した筆で描いていました。

それを見た真知寿は、商店街のシャッターに幸子と共にバスキアに模した絵を描き始めますが、商店街の店主達に見つかり、白色に塗りつぶすようにうながされ、下絵を真っ白に塗りつぶします。

真知寿のアトリエへ訪れた菊田に作品を見せるのですが、真知寿の自画像を見た菊田に「売れない画家の自画像なんて誰が買うの」と言われてしまいます。

その中に絶滅危惧種の白サイの絵をみつけた菊田は「こうゆうメッセージ性があるのがいい」と真知寿に言います。

「これじゃ~動物愛護のポスターだけどこうゆうコンセプトがあるのがいい」と菊田は言います。

それから真知寿は、コンセプトを求めて実験を始めます。

 

ここポイント!! 現代アートのコンセプトについての説明が生徒への理解を深める。ジェフ・クーンズ「バルーン」のコンセプトを説明する。

高層ビルの中に古びた一軒家を描いた絵を建設現場に持っていき、古びた家を作業員に頼んで地盤を突き固める時に使うランマーで叩きつけてもらいます。

ボロボロになった絵を作業員が「ほら、サービスしといたからよ、これでいいか」といって真知寿に差し出すシーンは、思い出すだけで笑えてしまいます。

アトリエにもどった真知寿は、アフリカ大陸に動物を描き、その上を幸子にはだしの足の裏に黒い絵の具を付けて絵の上を歩かせます。

黒い台地、白人に踏み荒らされたアフリカと題したその絵を菊田に見せますが、「コンセプトはあるけど、これじゃ~黒人が踏みつけている絵でしょぉ、白人だったら革靴でしょ」と言われてしまいます。

次に小学生の列の中にトラックが突っ込んだという交通安全をコンセプトにした絵の上をトラック運転手に、タイヤに赤いペンキを付けて踏みつけてくれと頼みます。

さすがに断られるのですが、トラックが立ち去った後に偶然、交通事故が起きます。

ひっくり返った車と、ぶつかった自転車で男が立ち去るシーンで、空き缶がコロコロと音を立てて転がる映像は、静(死)と動(生)が入り混じった面白いシーンでした。

事故で反転した車の運転手が頭から血を流して倒れている姿を真知寿は、キャンパスの裏でスケッチし始めます。

翌日の朝刊に”交通事故の現場をデッサン、芸術家夫婦の奇行”という見出しで記事にされてしまい、それを見た娘は家を出て行きます。

交通事故に遭った男を描いた絵を菊田に見せますが「ちょっと狂ってきたけど、もうちょっと狂わないと、他人の生死の狭間じゃなくて自分自身の生死の狭間とか、ギリギリの精神状態で物を考えて、そうゆう所に自分を置いて、アートと対面していかなきゃ」と言われます。

 

ここポイント!! ボクシンググローブを使用してアートする日本人アーチスト篠原有司男の説明があると生徒は理解しやすいです。

真知寿は幸子に全身白い服を着させ、プロボクサーのグローブにペンキを塗り戦わせます。

このボクサー役がK1王者、魔裟斗も認めた芸能界で一番強いボビー・オロゴンでした。

幸子は様々な色に変食した服を着てノックダウンしてしまいます。

ボクシンググローブを使用してアートする日本人アーチスト篠原有司男をなぞっていると思われます。

80歳を超えた今も、絵の具の付いたボクシンググローブを付けキャンパスを叩きつけます。

ネオダダのグループを作って活躍した”日本で初めてモヒカン刈りをした男”として日本の現代アート界の神話上の人物です

今もなおアメリカで活躍しているアーティストで、”キューティー&ボクサー”と題され2013年アメリカで映画化されました。

篠原有司男

次は真知寿自身が、お風呂に入り酸欠の状態で閃いた画風で描いてみる、という実験でした。

幸子が真知寿の頭を押さえ湯舟に沈めます。

繰り返しているうちに真知寿は溺れ、救急車で運ばれることになるのですが、幸子は犯罪者と疑われ、警察の車で搬送されます。

警察署から二人が出てき来るのですが、幸子は真知寿に「あんたもう別れましょうか、もう付きあっていられない、マリ(娘)も出ていっちゃうし、このままじゃ私達終わりだから、もう将来の事考えたいの、あんた芸術止めないでしょ?」と別れを告げられます。

一人になった真知寿は娘に絵の具代を無心しに行きます。

すると「娘が売春した金を、借りに来る親が何処にいるの、だらしない、何が芸術家だ」と言われ、娘に、ハイになる薬と2万円を渡されます。

この時、喫茶店の壁に飾られた絵がズームアップされるのですが、その絵は真知寿が菊田に平凡な絵だとダメ出しされた、初めて菊田の息子に見せた平凡な風景画でした。

この場面がこの映画の全てを語っているように思います

結局、ヤクザに絡まれて2万円をとられ、殴られてしまいます。

アパートに帰った真知寿は、滴り落ちる自分の鼻血を見て妄想し、部屋中を赤色のペンキで塗り始めます。

北野監督のお父さんがペンキ塗り職人であったことを思い出させる素晴らしい筆さばきです。

そんな中、電話が鳴ります。

それは娘の、マリが死んだ知らせでした。

真知寿は、霊安室で娘の顔かけをはずし、見守る幸子に口紅を要求します。

娘の口元に赤い口紅が塗られるのですが、何を思ったのか、真知寿は娘の顔に口紅を塗り、顔かけをこすり付けます。

「狂ってる、あんたもう狂ってる、人間じゃない、人間じゃない」と幸子は叫んで、霊安室を飛び出します。

 

ここポイント!! 熊谷守一が子供の亡骸を描いている時の心境を生徒に問いかけるとこのシーンの理解が深まります。

この場面で参考にしたであろうと思われるエピソードとして、画家熊谷守一(くまがい もりかず)が思い浮かびます。

熊谷が次男の陽が3歳で死去した時に、陽の亡骸を絵に描いていますが、熊谷は描いている途中で、描いている自分に気付き、これでは人間ではない、鬼だと気付き驚愕して描くことを止めてしまったと後に記しています。

熊谷守一「陽の死んだ日」

アパートに戻った真知寿は、真っ赤な部屋の中で自分自身の葬式をインスタレーションします。

夜、野原で車の中に排気ガスをチューブで引き込み、睡眠薬を飲み自殺を図るのですが、ガス欠で死に損ないます。

朝、農家のオジサンにガソリンスタンドまで車をひいてもらい給油します。

アパートにもどった真知寿は全ての絵をドラム缶の中で燃やします。

燃える炎を見て、真知寿はひまわりを妄想してしまいます。

ボロボロの小屋の中にイーゼルとキャンパス、一本のひまわりを持って藁に火を付けその中でひまわりを描き始めます。

幸い、車を引いてくれた農家のオジサンに発見され、一命はとり止めます。

炎の画家、ゴッホのひまわりを描こうとしたのでしょうか?

炎はキャンパスに燃え移り、真知寿自身も大やけどをおい、救急車で運ばれるのですが、最後まで木炭を手放さな姿と、半分焼けただれた愛用のハンチング帽が笑いを誘いました。

真知寿は気が付くと病院のベッドに寝かされ、全身包帯でまかれ、右目だけが開いている状態でした。

全身包帯で巻かれ、コートを着て、病院を去ります。

バス停のベンチに座ると、錆びたコカコーラのカンが落ちているのを見つけ、拾います。

拾ったコーラのカンをフリーマーケットで20万円の値段を付けて売ります。

通りがかったアベックの男性が「何だこれ、20万円って、錆びたコーラのカンじゃん」と言い女性が「でもちょっといいかも」と言います。

男性が「そんなのどこでもおっこってるぜぇ」と言いその場を去ります。

いつの時代も新しい物を面白がるのが女性と子供で、大人の男性は理性でその感情を抑え、面白いという理由だけでは、高額な金額を支払わない、男性と女性の違いが見事に映し出されていました。

 

ここポイント!! マルセル・デュシャンの便器をモチーフにした作品「泉」を解説すると生徒は理解しやすいです。

そして、どこにでもある様な物と、芸術の境の曖昧さが錆びたコカコーラのカンで表現されていた様に思われます。

マルセル・デュシャン「泉」

そこへ「これください」っと女性が声を掛けます。

別れた妻、幸子でした。

幸子は微笑んで「帰ろ」と言い、ウフフッ、ウフフッと笑います。

腕を組んで帰る二人の後ろ姿が、河辺の風景と共に映し出されます。

真知寿はコーラのカンをほおり投げ、それを幸子が河に蹴っ飛ばします。

このシーンは偶然なのか、何度も取り直したのか、とても気になりました。

そしてアキレスは亀に追いついた、というテロップが流れます。

 

まとめ

ピカソは、売れない時代に仲間に画廊周りをさせ、「ピカソの絵は置いてないのか?」と言いふらすように頼みます。

画廊の店主達は不思議に思いながらも、ピカソの絵を画廊に飾るようになり、次第にピカソが有名になっていく、というエピソードを思い出しました。

美術史家という職業が、美術史の中で、あるいは時代の流れの中で芸術がどの様に影響され、どの様な評価をされてきたのかを的確に評価する職業に対して、画商は利益のための評価をする職業だと思います。

この映画の主人公は、まさしく利益だけを追求する画商に振り回され、人生の時間を無駄に過ごしてしまいました。

私事ですが、学生時代日展の絵を見ていた時、一枚の絵に心ひかれ、ずっと鑑賞していた経験があります。

その絵はビルの中から雨の降る街を描いた絵でした。

私の頭の中で、急に音楽が流れ出し、保育園児の私が雨でぬかるんだ道を母親に手を引かれ、通園する場面を私自身が俯瞰して眺めていました。

あり得ない情景と音楽が私の頭の中で、交差していきました。

この時に絵画とは鑑賞する人によって、価値が決まるものだと感じました。

この映画は、絵画を投資の対象とする現代アートに対する北野監督の問題提起であると思います。

アキレスである真知寿は、商業主義の芸術から離れることで、本当の芸術である亀に追いついたのだと思われます。

長らくお付き合い頂き有難うございました。